「憐れまずにはいられない」12/1 説教

アドベントが始まった。クリスマスに向かって心を整えていく季節であると共に、主イエスの到来を待ち望む時である。旧約聖書に登場する預言者たちも、私たちと同じように救い主の誕生を待ち望み、やがて来るべき日に救いが訪れることを預言していた。

 エレミヤという預言者に注目する。エレミヤが活躍した当時、彼のいた南ユダ王国は滅びに向かって突き進んでいた。彼らは神の民であったのに、神に背き、罪のうちに生きていたが故に、滅びの道に進んでしまったのである。

 まさに国が滅びようとしているその時に、エレミヤは救いの預言を語った。「…目から涙をぬぐいなさい。…あなたの未来には希望がある。(31章17節)」希望というよりむしろ涙が止めどなく溢れてくるような絶望的状況が、目の前には広がっているはず。けれどもエレミヤは救いを語った。それは彼には神の言葉が聞こえていたから。「エフライムはわたしのかけがえのない息子、喜びを与えてくれる子ではないか。…わたしは彼を憐れまずにはいられない。(31章20節)」

 ここで主イエスが語られた放蕩息子のたとえを思い起こす。放蕩の限りを尽くした息子は父親のもとに帰ってきた。当然息子は父親に息子として迎え入れられるなんて思っていなかった。けれども父親はそんな息子に「走り寄って首を抱き、接吻した(ルカ15章20節)。」息子からではなく父から走っていく。そして息子を喜んで迎えるのである。

 この父に神のお姿が表れている。神は放蕩の限りを尽くして、自らに背いていく人々を放っておかれる方ではない。その人々が帰ってくる時「よく帰ってきた」と喜んで迎え入れてくださる。一人一人が憐れまずにはいられない、かけがえのない息子だからである。私たちも神のかけがえのない息子である。主イエスを十字架につけて殺すほどに私たちは愛されているのである。この父である神を仰ぎ見てアドベントの日々を過ごしていこう。

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