「キリストの血筋に生きる」12/8 説教

 マタイは、福音書の最初に系図を記した。この系図には旧約聖書に登場した人物が多く記されており、男性の名前がほとんどの中、4人の女性の名前が記されている。特に注目したいのは、「ウリヤの妻」という名前だ。

 ウリヤの妻は、ダビデ王の家来ウリヤの妻であったバトシェバのことである。ダビデ王はバトシェバに惚れ込み、家来のウリヤを戦場の最前線に送って戦死させ、やもめとなったバトシェバを妻にした。

 マタイはここでバトシェバを名前ではなく、わざわざ「ウリヤの妻」と記した。それは「バトシェバはウリヤの妻であって、ダビデの妻ではない。ダビデは奪ったんだ」ということを示すためである。ダビデの罪がここに露わにされている。

 マタイがここでダビデの罪を強調していることに大きな意味がある。主イエスへと至る系図は、ダビデを筆頭に罪にまみれていた。本来系図は、由緒正しい血統を示すために残されてきた。しかしそんな誇らしい系図ではないのである。罪の垢がこびりついたような系図である。

 けれども主イエスは、その系図の中に入り込んでこられた。そしてその罪の垢をすべて綺麗にするかのように、十字架と復活の業を成し遂げられたのである。

 系図はここでは終わらない。主イエスはご自分に従う者たちを「わたしの兄弟たち」と呼ばれた。それは私たちのことでもある。罪の垢がこびりついた私たちの名も綺麗に系図に記される。教会は主イエスの“血筋”に生きているのである。

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