「神の住まいとして」3/22 宇佐教会創立記念礼拝 エフェソ2:11〜22
全く神を知らなかった者たちが“霊によって一つ”に結ばれ、キリストの体である教会を形作ることが出来ている。これはまさしく聖霊なる神の業であり、人間の力によっては成し得ない。むしろ教会はその神の業による完成への途上にあり、どのような教会であっても未だ欠けがある。しかし教会はそういう意味で、常に完成に向かって建て上げられ続けているのである。どんなに欠けがあり、崩壊に向かっているように思えるような歩みに思えても、その道は滅びではないのである。ただ私たちに求められていることは、この聖霊の導きに従うこと。自分を土台とせず、キリストを、聖書を土台とするということである。これからも宇佐の地でこの歩みを続けていこう。
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