「イエス様に希望を置く」1/5 説教 イザヤ書40章31節
絶望の淵にイスラエルは歩んでいた。自国は滅び、敵国バビロンへと連れ去られ、民は苦しい生活を余儀なくされた。望みを失い、神様に悲しみを訴え続ける日々であった。
そんな絶望するイスラエルにイザヤは、神様がどんな方であるのかを思い起こさせた。「あなたは知らないのか。聞いたことはないのか。主はとこしえにいます神、地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく、その英知は極めがたい。疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に大きな力を与えられる。(イザヤ40章28、29節)」
イスラエルは、神様が自分たちを敵国へと渡し、見捨ててしまったと思っていた。その神様に絶望していたのである。しかし神様はそういうお方ではないとはっきりイザヤは語る。神様は、とこしえに神である方。つまり変わることなくイスラエルの、そして私たちの神であり続ける方である。そしてその方は決して疲れない。今もそしてこれからも生きて働いておられるのである。
この神様に希望を持つこそすれ絶望を抱くことはないのである。だからイザヤは大胆に語る。「主に望みを置く人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。(イザヤ40章31節)」
主に望みを置く。この生き方こそ私たちが平安のうちに、安心して生きる生き方である。このように生きる時、私たちの歩みは「鷲のように翼を張って上る」ものになる。鷲は自分の力で空を飛ばない。上昇気流に乗って一気に上っていく。自分の力では上れないところまで飛んでいくのである。私たちもそう。主を待ち望む者はバタバタしたりしない。主の力を信じ、主にすべてを委ねて生きる。その時にはもはや恐れなんてない。大胆に自信をもって生きることができるのである。
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