「神の御旨に強いられて」1/19 説教 マルコ6:45〜56
船旅をする弟子達は逆風に悩まされていた。そもそもこの船旅は主イエスが“強いて”弟子達を湖へと送り出したことから始まった。なぜ強いられたのか。そこに神の御心、定めがあったからである。最初は順調だった。しかし夜になって船は全く進まなくなってしまった。「イエス様が無理やり出発させたから…」という思いが彼らの中に湧き上がったかもしれない。
そこで彼らは不信仰に陥ってしまう。弟子達をご覧になっていた主イエスが、弟子達のもとにやってきても、彼らは主イエスを見て「幽霊だ」と恐れ怯えるだけであった。「幽霊」というのは存在しないものという意味。つまり主イエスのことを存在しないものだと思った。神を見ていながら、こんなところに神などいないと思ったのである。
けれども主イエスは、そんな不信仰な弟子達に語りかける。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」。ここに神なんていないと思えるようなところにも、主は共におられたのである。弟子達はそのことに気づかされた。
教会は主の命令によって、伝道に生きる群れである。そこに神の定めがあり御心がある。しかしずっと順調だったとは言えない。むしろ2000年間逆風に悩まされ続けてきたと言っても良いかもしれない。だからと言って教会は伝道をやめなかった。それでも神が共におられるからである。恐れることはないと私たちに語りかけておられるからである。私たち一人一人の人生もそう。ずっと順調ではなく、時に嵐も吹き荒れる。けれども神が恐れることはないと語りかけながら私たちと共に歩んでくださる。神が定めた「私の道」を、神と共に歩んでいこう。
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