「外からキレイになる」2/2 説教 マルコ7:14〜23
「外から人の体に入るものが人を汚すことはない」。主イエスはそう語られる。当時のユダヤの人々は、食べてはならないものの決まりがたくさんあった(レビ記11章参照)。これらのものを食べたら汚れると信じ、きちんと掟を守って生きていたのである。
しかしそんな人々に主イエスはきっぱりと、そのような食べ物によって汚れることはないと告げられる。しかしそこで主イエスは“外からのもので汚れない”と言って、“あなたがたは皆清いのだ”と言われた訳ではない。主イエスがここで明らかにされているのは、「皆汚れている」ということ。主イエスは「人から出て来るものこそ人を汚す」と言われた。汚れは、外から来るのではない。食べ物によってくるのではない。私たちの心の内から溢れてくるものなのである。
ファリサイ派や律法学者達は“汚れ”を、外から入ってくるものだと思っていた。そのような考えには、“自分は清い者だ”という思いが隠れている。しかし主イエスはその考えに厳しい“否”を突きつける。人間の心のうちに“清さ”というものは一切ない。
私たち人間はどうすればいいのか。汚れが心の内から湧き溢れてくるようなものなら、どうすれば清くなることができるのか。
主イエスは伝道の最初から、清くなる道を私たちに示しておられた。それは「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」という言葉に表れている。「神の国は近づいた」というのは、私がまるまる変えられるという出来事を言い表している。私が私自身を支配するのではなく、神が外から近づき、支配してくださるのである。まるっきり私が変わる。そのことが具体的に現れたのは、主イエスの十字架と復活によってであった。あの出来事によって私たちはまさに外からの力で罪清められたのである。もう私たち“私という汚れ”に支配されない。主の救いによって変えられ、清められた者とされている。
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