「祝福されるまで離れない」2/9 説教 マルコ7:24〜30
汚れた霊に取りつかれた幼い娘を癒してもらうために、一人の女性が主イエスのもとにやってきた。この女性はユダヤ人ではなく、シリア・フェニキアに住むギリシア人であった。
女性は主イエスに「娘から悪霊を追い出してください」と頼んだ。けれども主イエスはその願いに「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、子犬にやってはいけない」と言われた。これは彼女の願いを拒む言葉である。「子供たち」というのは、神の民であるユダヤ人のこと。「小犬」というのはこの女性含む異邦人のことである。つまり主イエスは、「私の救いは子供たちであるユダヤ人、イスラエルの民のためのものであって、お前たち小犬、つまり異邦人に与える分はない」とおっしゃった。随分厳しい言い方である。
けれども、この女性は初めからこのように言われることも想定していたのかもしれない。当時ユダヤと異邦人との溝は、非常に深かった。しかしこの女性はそれでも主イエスに食い下がるのである。「主よ、しかし、食卓の下の子犬も、子供のパン屑はいただきます。」
マルティン・ルターはこの箇所の説教で「この女性はヤコブのようだ」と語っている。神の人と格闘し、祝福を勝ち取ったあのヤコブの姿とこの女性が重なるのである。随分厳しい言葉を言われたこの女性。しかしその言葉が語られようとも、異邦人であるがゆえにパンの恵みに値しないような者かもしれなくても、“主よあなたはそれでも恵みをくださるお方だ”と、この女性はこのような信仰に立っているのである。事実、幼い娘は癒された。私たちもこの女性のように、大胆に主を信頼し、願い求めていく信仰に倣う者でありたい。
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