『開け』2/16 説教 マルコ7:31〜37
主イエスのもとに耳が聞こえず、舌の回らない人が連れてこられた。この病を抱えた人は、罪によって耳が塞がれ、御言葉が聞こえなくなっている人を象徴的に表している。本当に聞くべき神の言葉、命の言葉を聞くことができていないために、私たちの語る言葉も、人を傷つけるものになってはいないだろうか。人は耳が聞こえないと、うまく話すことができない。それと同じように、きちんと恵みの言葉を聞いて生きることなしに、私たちは人を生かす言葉は語れないのである。
主イエスは、命の言葉に聞いて生きられるようにと、耳が聞こえず、舌の回らない人を癒された。耳の穴に指を入れ『開け』と主イエスが言われた時に、この人はたちまち耳が開いて話せるようになったのである。
この人と同じような恵みの御業が私たちにも起きた。私たちも耳が聞こえず、舌の回らない人だった。でも主がただ恵みによって私たちの耳を開いてくださったのである。命の言葉、神の御言葉を聞いて生きるようになるために。命の言葉は私たちだけでなく、人をも生かす言葉である。御言葉に聞いて生きる時、私たちは御言葉を証するものとして用いられていく。
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